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本当の『終戦の日』をこの手に~今日は終戦記念日

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1945年のこの日、第二次世界大戦が終了しました。

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どうも(^_^)v竜馬です
 
こんなに軽いノリで書く記事ではないんでしょうけど
一応、形なので_(_^_)_
 
さて、毎年アップする記事はすでに上げているんですけど
今年はもうひとつ、書こうと思います。
 
いま、外は雷雨です。
土砂降りの雨、雷‥土砂災害警戒だったり、竜巻警戒警報が出てたりしてます。
 
荒れた天気。
 
気象のことなので、関係なんかないんでしょうけど
でも、お盆のよるの荒れた天気が
 
なんだか、悲しい涙の雨だったり激しい怒りの雷だったり
生きている僕たちの、亡くなった方々の
想いが、この雷雨のように感じます。
 
今日は何の日? 終戦の日。
72年前の8月15日、第二次世界大戦~太平洋戦争が終わりました。
 
と、いいましても
 
1945年(昭和20年)8月14日
日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
1945年(昭和20年)8月15日
玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
 
1945年(昭和20年)9月2日
日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日
1952年(昭和27年)4月28日
日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、
国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日

 

国によって8月15日が終戦の日もあれば、9月2日や9月3日が終戦の日もある。

 

日本にしてもソ連との戦闘は8月25日まで続きました。

↓樺太の戦い

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1945%E5%B9%B4)

 

樺太の戦いのことは、テレビでちょうど放送されましたね。

8月15日で、すべてが終わったワケではなかったです。

 
それは今にも言えることなのかもしれません。
 
安倍政権になってからというもの
それまでにもあった改憲論がより怒鳴られるようになり
 
『愛国心』ばかりを強いるようになり
『非国民』『国賊『売国奴』こんな古ぼけた言葉が闊歩するようになりましたのは
みなさん、ご存じの通りだと。
 
他国への憎悪はさらに暴れ始め
とくに中国、韓国へ向けられるソレはあまりに凶悪で
 
向けられた側の国々にしても
同じような思想を掲げる人間はどこにでもいるもので
 
同じようなソレをぶつけてはくるのですが
侵略や虐殺、従軍慰安婦などの問題もあるソレを
必ずしも暴力だとは僕は言いきれなくて
 
ただ領土問題はね‥本来、誰のものでもないのにグダグダ言い争うなんて
両者・双方にゲンコツくれてやりたい気分。
 
でも、僕たちは獣ではありません。
感情のままに暴れ、力で解決しなくても
理性をもって、言葉で解決する術をみつけなくてはなりません。
 
思想がそうのように、同じような人間はどの国にもいる。
日本人だから
中国人だから
韓国人だから
アメリカ人だから
ロシア人だから
などなど、だから悪いなんてことはなくて
 
悪い人や乱暴な人もいれば
善い人、穏やかな人もいるものです。
 
国が違うから、国籍がどうのこうの
それくらいのことで人が人を憎むなんておかしい。
 
文化が違えばそりゃ、ともに生きていくのに問題が生じるなんて当たり前ですよね。
 
狭い日本と言われていても
それまで違う環境で育った人同士が一緒に暮らすと
アレコレ問題が生じてくるのと同じ感覚。
 
関西生まれの僕にしたら
関東の真っ黒いお出汁のうどんはギョッとしますけども
関東の人からしたら西日本のお出汁は物足りないでしょう。
 
そんな風に違いは様々にあって
それが海を超えて世界になると
言語も宗教も、環境・文化もまったく異なる人たちですから
 
問題起きないほうがおかしいです。
 
わかり合えていると思っても
ふとしたことで誤解が生じることだってありますし
それはどんなに近しい人でも起きうる、よくある話。
 
ならどうやってそれを解決するかといえば
話すしかないです。
 
以心伝心だとか、目は口ほどに物を言うだとか
とかく僕たち日本人はそんな言葉でテレパシーが存在するかのように語りますが
まったくそれを否定はしませんけども、いくら思ってたってその想いは
相手に伝えなければ、伝わらなければただの自己満足で終わってしまいます。
 
想いは相手へ伝えなければ。
 
声に出して、文字に起こして
気持ちを相手にしっかり伝える。
 
夫婦や恋人、家族や友達
大切な人、これからお付き合い始まる人、出会った人
そりゃ心開く段階ってありますよ。
 
出会ったばかりの人に、心フルオープンでぶつかるほどの純粋さは僕にありません。
汚れちまったなぁと悲しくなるときはありますが。
 
少しずつでも心を開く、それは話を重ねることからです。
とにかく会話がなければ何も始まりません。
 
もちろん、相手へ自分の気持ちは伝わりません。
 
口下手な人だっていますけども、下手なりに伝える方法はきっとあって
言葉じゃなくても行動だったり、相手へ自分の想いを伝える気がなければ
 
黙ったままでは、見つめているだけでは、心の内で想っているだけでは
決して相手へ伝わりません。
 
そして気持ちが伝われば
様々な国の文化の違いも、その国々の個性として受け入れられると思います。
 
よく中国の人は大声でうるさいと言いますけど
日本と違ってあれだけ広い国で人口も多いなら
口の中で言葉を詰まらせていたら暮らしてはいけないでしょう。
 
必然的に大声でアピールすることになります。
 
でも実際、騒がしい人ばかりじゃなくて
とても親切な方、上品な方も多くいらっしゃる。
 
それ以外にも様々な要因があり
暮らし方、生き方は国によって様々で
 
例えば
福岡県の人にしたら当たり前のことでも
岩手県の人にしたら驚かれることだってありますし
 
ほら、お好み焼きとご飯食べるの当たり前な県もあれば
そんなメニュー、ワケわかんないという県もある。
 
違いは人それぞれ、国それぞれにあります。
違うもの同士がふれあい、交流しようとなるとたくさんの違いがたちふさがってきますけど
 
変わらないのは「僕たち・私たちは人間だ」
同じ、人間なんです。
 
子供を見たらすごく分かると思いますが
ご飯を食べながら眠くてたまらず、そのまま寝てしまう赤ちゃんの姿なんて
肌の色とかそんなもの関係ない、同じ人だと強く思えます。
 
ワンコやニャンコ、動物とだって、違う種とだって心通じあうという人が多く
それなら同じ人間同士、もっと簡単に繋がれるはずです。
 
いま、そのつながりがとても希薄になっていて
例えば生活苦‥貧困が問題に大きくのしかかってるのは事実でしょう。
 
働いても働いても、生活は楽にならない人は多く
暮らしの中に余裕が生まれないことには
異なる文化に触れ、交流しようという余裕だって薄くなってしまいます。
 
同じ国の人同士でさえつながるのが苦になるって人も多く。
 
人とつながれば良いことばかりでなくて
苦労する面も出てくるだろうし、様々に問題は生じます。
 
生活面にそんなに不安はなくても
苦労が多くないがゆえに、人とのつながりを意識しなくなり
個だけで生きていけると勘違いしてしまう生き方も多いです。
 
けど人は1人じゃ生きていけなくて
お腹が空いたら何かを食べる。
食べ物を売ってる店、それを運ぶ人、作る人
 
電気・水道なども人がいないストップしてしまう。
 
誰かに助けられながら生きている。
そんな人たちに出会っていないだけで、必ず誰かの世話にはなっている。
 
人と人が繋がり、それは良いことも悪いことも多くあるけど
少しでも笑顔で生きていけるように互いにおもいやる気持ちと少しの我慢があれば
世界はうんと楽になれる。
 
戦争はおもいやる気持ちを欠いた、それを放棄した行為で
戦争するから、できる国だから僕たちは強いと思ったら大間違いだよ‥と。
 
弱いからこそカバンにナイフ忍ばせて出歩き
ふとしたことで振り回したり、あるいは刺してしまったり、キレる人がいるように
 
ミサイルや戦闘機、戦車に空母とそんなものばかり集めてチラつかせて
いつしかどこかの国へ振り回したり、撃ったりしかねない。
 
北朝鮮がまさにそうなのかも。
でも、多くの人があの国にミサイル落とせだぶっ潰せだと過激に怒鳴るんですけど
悪いのは政治であって、そこに住む人たちの多くが罪もない人たち。
 
むしろ被害者といってもいい。
 
飢えた子供たちが巻き添えになるかもしれないのに
ミサイル落とすなんて考えられないです。
 
あの‥アイツとアイツの取り巻き連中だけをドンッ
ピンポイントに落とせるミサイルがあるのなら
そりゃ僕だってスイッチ押しますけども‥
 
そんなこと無理なんで
こうなったらこれまでの罪は問わないことや
今後の暮らしは担保する形で
国を明け渡すように働きかけ続けるか
あの国はあの国で存続させる代わりに民主化させていくのか
考え、長い時間を話し合わなければならないのかも。
 
憤りは僕にだって強くありますけどね。
でもそれよりもまず、あの国に住む子供や女性、弱い立場の人たちを救い
世界から少しでも危機を無くすことが先決で。
 
ただ、騒がしている今の問題については
アメリカだって相当悪い。
空母何隻も近づけさせたり、その気もないのに攻撃チラつかせたり
まるでチンピラ同士のケンカのように口ばっかりで脅し合う。
 
滑稽です。
 
アメリカってそんな幼稚でしたっけ?
違うでしょ、今までは違っていた。
 
トランプ氏が政権になってから急速に幼稚化していきました。
 
いままでも良くも悪くもしたたかだったのに。
 
それでもいよいよ武力衝突が現実になる危険性も出てきて
それなのに総理は?
地元へ夫婦そろって花火見物や盆踊り大会に出席です。
 
夏休みは必要だけども時期ってものがあるだろうと。
 
で、国民には『もしミサイルが飛んで来たら』とCМ流して
各地へ届きもしない迎撃ミサイル配備して、危機感煽るだけ。
 
グアムへ飛ばさないようにしたいんなら
まず徹底的に外交で話つけなきゃでね。
 
中国へ協力求めつつも貿易がどーのこーのと締め付けようとするアメリカの政治も??だし
安倍政権‥いやもう自公政権+維新もおかしい、おかしすぎる。
 
政治のちんぷんかんぷんさが世界を危機に陥らせようとしています。
 
僕たちの日本がそうとう危険なら
トランプ政権のアメリカも、プーチン政権のロシアもドゥテルテ政権のフィリピンも
アイツの国の政治なんて政治といえないもので
そのほかたくさん、世界がかなり危ない今。
 
核兵器保有論など平然と飛び交うこの国・日本は
 
国民に主権があるのがおかしいと政治家が言う有様で
 
一族の悲願だかなんだかしらないけど、
私的な感情を国のかじ取りに持ちだす総理がいるという恐怖。
 
連日、報道されている忖度問題も御用聞きメディアも
誰一人、本当の危機に目を向けていなくて
 
女性ジャーナリストがレイプされたってスルーする社会なんて‥。
 
そんな政治を支持する愛国騙る人たちが大きな顔をして
悪ノリして声が大きいほうへ傾く人もいて
 
こんなにバラバラな状態でミサイル撃たれたら‥
目が覚める前にぜんぶ終わってしまう。
 
沖縄の基地問題はなぜ?沖縄だけにあれだけの負担が強いらなければならないのか。
昔から基地がある地域はなぜ、そのままにされなければならないのか。
 
なぜ間違いがあったときも、日本で起きた問題なのに
アメリカに従わなければなら無いのか。
 
沖縄の基地を言うと
基地があるから生活が成り立つ論が決まって出て来ますけど
本当は農業、漁業と観光で成り立っていいはずで。
 
それでいて反対する住民を笑い、罵る人たちの群れ。
言葉汚く暴言吐く機動隊員までいる。
 
暴言吐かれたから吐き返しただけと擁護する声もあるけど
警察という職に就いておいて、そんなイイワケ許されると思うなと。
 
国防は大切で、
その点から米軍基地が必要で沖縄に大きく負担してもらわなければならないなら
罵っている人間なんか論外で、みんなが頭下げるべきことなんじゃないかと感じる。
 
それでも穏やかな暮らしは必要だから
それならそれで各地で負担していく議論も必要だし
 
とにかく今のまま、イヤなことは押し付けて知らん顔して
それに反対する沖縄の人を悪く言い
今の北朝鮮関連の騒動が起きると必要論したり顔で吐き散らすなんて話にならないし
怖いと震える人たちも、それと同等の恐ろしさが毎日沖縄の空で起きているんですよと。
 
嫌なことから目を逸らさないで、向き合う時も人には必要なんです。
 
原発問題にしても、国防と怒鳴るならまず原発は廃炉へ意見変えなきゃで
あんなもの絶対的弱点ですからね。
 
あそこへミサイル落ちたらそれこそ終わりで。
 
小さな国に無数にある弱点をむき出しのまま
国防を論じるなんておかしい話です。
 
あれもこれも欲しいと駄駄こねる子供じみた考えじゃなくて
真剣に今後の国の行く末を話し合わなければなりません。
 
原発が必要なら国防の形も転換必要だし
外交の責任はより重くなります。
 
戦争をただ美化して、特攻を美化する著名人もいましたね。
誰が大切な人を亡くしたと思ってるのか?
大切な人たちを残して死ななければならなかったのか?
 
死にたくない
そんなことを言える状況じゃなくて
死んでも守りたい人たちがいて、死ななきゃ守れないと強いられる状況の中で
誰が正解を出せるのだろう、正解なんてないことに。
 
死んでいった人
死ななくてはならない状況に追いやられた人
それは僕たちの日本だけじゃなくて、この世界にたくさんいて
 
確かに72年前の8月15日に戦争は終わりましたけど
それは第二次世界大戦‥太平洋戦争が終わっただけのことで
 
それからも紛争、内線‥そして次々に戦争は世界中で起き
いまはテロとの戦いという、今のままでの社会のありようでは
無限ループになるだけの戦争に陥っていて
 
その中で迎える今年の終戦の日が、僕にはすごく悲しい。
 
こんな世界にするために、世界中が殺し合ってしまって
やっとその殺し合いが終わったのに
 
たった72年でその静けさは崩れようとしていて
殺し合いはなくならなくて
 
なんのための犠牲。
なんのための悲しみ。
 
いったい、僕たちはなんのために後悔し、反省してきたんだろう。
過去の過ちを繰り返すのは馬鹿です、愚かです。
 
人は決して愚かじゃない。
そうであるように信じたい、祈りたい。
 
今、違いを受け入れず安易に差別して排除して
自分たちだけが助かればいいと思う社会が幅を利かせてますけども
 
そんな偽物の社会は、根っこがすでに腐りきっている社会はすぐに崩れる。
 
大切なのは
知ること、受け入れること、理解すること
知ろうとすること、受け入れる努力をすること、理解しようと考え行動すること
 
どうか世界が無知・無理解・無関心の罪を犯したまま滅びませんように
深く願いながら
 
72年前の戦争、今も続く紛争・戦争の犠牲に対して
哀悼と鎮魂の願いを捧げます。
 
早く世界が、世界から争いが無くなる
本当の終戦の日が訪れますように
 
祈るばかりじゃなく、願うだけでなく
小さい力でも少しずつ行動していきたい。
 
そう思う2017年の8月15日です。
 
それではまた、ごきげんよう。

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