※はじめに
以前、Upした記事をコピーしての再掲載したものです。
また、個人的な意見書いております記事ですが
ご覧になって不快に思われた方が他へは深くお詫びを申し上げますとともに
異論・反論等コメントされても、議論するつもりは当方に無く
ご対応しかねますこと、ご了承ください。
1945年 昭和20年 8月9日午前11時2分
長崎県長崎市松山町に原子爆弾が投下されました。
6日に広島、そして9日に長崎。
アメリカによる2度の原爆攻撃です。
この2度の攻撃の後、戦争は終結へとようやく向かいます。
毎年書いておりますが
長崎に投下された原爆後10年に、
詩人・福田須磨子さんが書かれた 『ひとりごと』という詩があります。
『何もかも いやになりました
原子野に屹立する巨大な平和像
それはいい
それはいいけれど
そのお金で 何とかならなかったのかしら
{石の像は食えぬし腹の足しにならぬ}
さもしいといって下さいますな、 原爆後十年をぎりぎりに生きる
被災者の偽らざる心境です』
6日に書きました記事でも少し触れましたが
政治というものには大きな責任があり、最大限の努力が必要です。
戦争を回避するという強い信念のもとに、外交努力を重ねて
現状のような、どこどこが攻めてくると被害妄想に陥らず
まずしっかりとした友好関係を結ぶことが
一番の国防だと僕は考えます。
八方美人だっていいじゃないですか。
現首相のように他国で国民から預かっている税金を
まるで自分の財布から出ているお金のように、ジャブジャブ使わないでも友好関係は築けます。
それを実践しているのは民間です。
各個人です。
その人たちの努力を政治は平気で踏みつけ、潰し
戦争へと人の心をかりたてます。
それに乗ってはいけません。
戦争が起き、それがいつか核攻撃へとつながる恐れは十分にあります。
その引き金をひかせないことこそ、愛国心だと僕は強く思います。
偽りの、紛い物の愛国心を強要するヤツラの言葉を投げ捨てて
どうか、本当の愛を持ってくださいと心から願います。
長崎は江戸時代、唯一海外へと開いていた日本の玄関と称されています。
中国の方々、オランダの方々‥たくさん住まれ、貿易も盛んでした。
ですが、中国の方たち(当時、華僑と呼ばれていました)は
町の一区画に押し込められ、移動を厳しく制限されていた歴史があり
国際間で育まれた愛の結晶である子供たちにも迫害が加えられていました。
その感情はずっと根強く心をむしばみ続け
現在はさらに大きく人の心を軋ませています。
ヘイトスピーチに代表されるように
差別、偏見、暴力は止むことがありません。
なのに観光で商業で、中国・韓国に頼る2枚舌。
卑怯卑劣なその態度に僕は嫌悪を感じています。
直接、その人たちから誰が何をされたワケでもないのに
たやすく他国を憎み、差別し、狂信的に・盲信的に自国を支持しています。
それが自身にとって、真綿で首を絞められるような暮らしを強いられるがごとき
国の政治を許していても、まだ支持しようとします。
それは最早、破滅思想や自殺願望に感じます。
原爆・核兵器の恐ろしさを嫌というほど知っているこの国
東日本大震災と原発事故を経験してもなお
原発再稼働に固執して、さらに核兵器所有論まで堂々と話し合い、
所持へもと、声高に言う人たちがいる。
戦後、 震災後、時間はほとんど立っていないんです。
なのにそれを忘れたかのような政治に僕は激しく怒りを感じています。
東北の復興だって、なんにも進んでいないのと同じです。
よく『被災金』で贅沢しているよという人たちがいるのですが
なら自分たちがある日突然、自分の大切な人たちが津波に飲まれてみろと
僕は言いたくなります。
ある日突然、放射能で故郷を追われる、汚される。
その絶望は、察してもあまりあると思うんです。
その空洞を埋めるために心は迷うんです。
なら、そんな人たちを誹謗中傷するよりも
向き合って話を聞くことが大切だとそう思うんです。
原爆について話す機会もそうです。
時を重ねるにつれて
原爆被害に対する話を当時を知る方たち、近く聞いた人たちの話を聞く機会は減っていきます。
だからこそ、次の世代がしっかりと向き合い聞かせていただき
その次の世代へと繋いでいかなくてはなりません。
原爆を世界に落とさせないために、戦争を根絶するために。
長崎で起きたことですが、原爆被害について話されていた方へ
『死にぞこない』と暴言を吐いた学生がいました。
また、語り部さんが学校で
原爆の話をして最後、原発の話に少しふれただけで
学校責任者は話を遮り、終了させたことがありました。
長崎では、安保法制に賛成といち早く賛成した議会もあります。
長崎県平戸市長の発言は、とても被爆国の、しかも投下された長崎に生まれ住む人間とは
思われないほどの酷いものばかりです。
保守層が強い県だと思ってはいましたが
その前に被爆国の一員で、投下された場所でもあります。
なのに‥。
世界遺産に旧グラバー邸や端島(軍艦島)など多く選出され
さらに教会群の世界遺産登録をと、賑わっている長崎。
でもなぜその前に
資料館や平和公園をの声は聞かれないのだろう。
それでなくても、『被ばくクスノキ』『被爆マリア像』残すべきものはたくさんあります。
そもそも端島は少し前まで、地元民からは幽霊が出るなど噂され、忌み嫌われ
市のお荷物のように言われていた場所です。
倒壊を願う声すら聞かれていましたが
僕もファンの1人であります、某・超有名人さんが注目したことで大きく流れが変わり
市民の声も大きく転換。
あっという間の世界遺産登録の感は否めません。
山口県のオマケという感が拭えないのと同じことです。
軍艦島がふさわしくないとか、その他遺産がそうでないとか言ってるのじゃありません。
ですが、物事には優先順位があるんだと。
騒ぎ、浮かれている時ではないと感じます。
浮かれるそれと引き換えに、大切な何かを失ってしまわないように‥。
『武器の輸出』で我が国は、儲けようとしています。
福祉目的といった増税も なんてことはない、法人税を下げるための財源確保で
さらに公務員の給料はUp。
アベノミクスと掲げたアレはなんだったんでしょう。
大企業と株主と、公務員のためのものですか?
別に企業や株主、公務員に儲けるなといってるんじゃありません。
それもいい、それもいいけども
自分たちさえよければそれでいいの?と。
人を多く苦しめ得たお金で、自分の愛する人を喜ばせますか?
人を殺す武器を売ったお金で、自分の子供を育てますか?
それが本当の愛ですか?
それが幸せだと?
職業差別をしているとかじゃないです。
戦後『パンパン』と蔑まれて、それでも生きていくのに
それしかなかった人たちの仕事を辱めることを僕は許しませんし
そのような職業は今も社会に残ってはいますが
それでしか食べていけない人、やむ得ない事情でお金が必要な人
それを蔑む必要がどこにあるのかとも思います。
ただ、身体も心も傷ついていく仕事ですから
それを心配します。
出来るのなら、女性の人権のためにも
社会から無くなったほうがよい仕事ですが
だからといって人が人を差別していいはずもなく。
ですが、武器を売る商売というのはそれと全く異なりますから
僕は強く非難します。
人が人の暮らしを破壊するものを売って得たお金、命を奪って得たお金
それと殺人強盗と何が違うのか? 同じ意味ではないのかと。
武器を輸出した金で潤う経済に、何の意味があるんですか?
人殺しの道具で人殺しを支援し、手につかんだ血まみれの金で
自分達が飲み食いし、着飾り、我が子や愛する人を抱きしめる。
誰かの愛する者を奪っておきながら。
それを幸せだと勘違いするなと。
世界中が殺しあって、傷つけあって
それでもまだ『人』は争います。
国家間の戦いは、今も軍備強化や威嚇と続き
兵器開発に躍起になっています。
患者数の少ない難病の治療薬などの
命を救う技術へかけられるお金よりも多く、人殺しの道具へ予算は注がれます。
世界がその気になりさえすれば、飢餓も貧困も解消されるというのに。
そんな政治を傍観している人々も、何かしらの責任はあるのかもしれません。
だからこそ今、声を上げるべきなんだと思います。
世界を救うのは誰かじゃありません。
自分たちです。
みなさんです。
2度の原爆、数々の原発事故、2011年の大震災での原発事故‥
沖縄の『ひめゆりの塔』や『集団自決強要』
東京はじめ、多くの土地への『大空襲』
『あった』『なかった』と、憎しみをむき出しにして言い争う
従軍慰安婦や強制連行、南京大虐殺もそうです。
真珠湾攻撃も、アウシュビッツ収容所も、シベリア抑留もそう。
戦争と核の恐怖を知りながら
いまだ争いをやめない人たちがいる。
戦争とは、どちらが正しいものではなく どちらも悪なんだと考えます。
だからこそ、繰り返してはダメなんです。
従軍慰安婦問題も強制連行問題も、それまでの戦争体験者の方々の話が
真っ赤なウソのように
戦争を知らなさすぎる人たちが、
戦争をしたがる思想のヤツラの口車に乗って怒鳴っている時代です。
72年前の8月6日、広島に原爆が投下されました。
そして9日、長崎に原爆が投下されました。
戦争は『人』の最も愚かしい行為です。
どんなに大義名分を掲げても、しょせん人殺し・殺戮です。
戦歴だとか、勲章だとか‥讃えられるものではありません。
僕は特撮作品が大好きで
多くの作品の中に、皆さんもご存じのウルトラマンシリーズがあります。
シリーズの中で、海外制作の『ウルトラマングレート』があり
第7話「森の守護神」にて、防衛組織のチャールズ・モーガン隊員のセリフに
『あんた、子供殺して勲章貰うの?』とあります。
いつも戦争で犠牲になるのはまず子供であり、女性です。
このセリフがすべてを語っていると思います。
でも、戦場で戦った方たちを非難するワケではありません
国に強いられ、血で手を汚した。 おそらく、投下した人もそうだったんでしょう。
中には状況に流され・酔って、戦った人たちもいるでしょうが。
広島、長崎。 2発の原爆が投下されたのは事実。
多くの人たちが亡くなったのは真実。
今も多くの人が苦しんでいる現実。
このことを『人』は、忘れてはいけません。
僕たちは忘れがちです。
つい72年前のことさえ、忘れかけている今です。
忘れて、戦争をしようとしている国です。
人は、悲しみも怒りも恨みも、やがて忘れていきます。
僕自身は忘れはしなくて、悲しみや憎しみは薄れていくものだと考えてます。
それはとてもいいことです。
すべてを背負っては生きていけません。
だけど、忘れていいことと忘れてはいけないことがあります。
戦争で起きた怒りや憎しみは忘れていい。
悲しみもそうかもしれません。
でも、奪われた命があるということは忘れてはいけないことだと思います。
世界中の国民が戦争の被害者です。
被害者同士が憎しみ合わなくてもいいんです。
戦争という行為に走った国、政治に怒りを向けるべきです。
現憲法は、戦勝国に押し付けられたものと卑屈にならなくていいんです。
たとえそうでも『戦争の放棄』というものを誇りに思い 強く守り抜くことで、
今の憲法は『日本』の憲法となるんです。
恥と思えばどんなに素晴らしい物でも恥になるんです。
『想いがあるかどうか』 守り抜く覚悟を持つことが大切だと考えます。
その覚悟さえ持てない人間が、戦って何を得るのだと。
戦わずともいい‥それが人です。
今を生きる世界中の人々
そして原爆で犠牲になられた方々
戦争で犠牲になった方々
今も苦しむ方々
そんな世界を、戦争で奪われた命は願っているのではないでしょうか。
忘れてはいけないこと‥
戦争という愚かなことをもうしないよう、平和を願う『想い』
多くの命が遺したメッセージをを語り継ぐ人の『心』
想いと心で、この世界から核兵器も戦争も根絶し
多くの人ができうる限り笑顔で生きていける
そんな世界を実現させなければなりません。
広島、長崎。 平和実現の強い決意と
被害に遭われた方々、
犠牲になられた方々への祈り
想いと心を花束として、高く高く捧げます。
飛鳥 竜馬